2004年(平成16年)10月23日17時56分、
僕のふるさと・新潟で大きな地震が発生しました。
震源は、新潟県中越。
実家のある下越(新潟市)からは
少し離れていますが、この日の衝撃は忘れられるものではありません。
テレビが叫ぶ故郷の名前。
当時住んでいた千葉県柏市でも
相当な揺れを感じ、
焦りと、恐怖と、悲しみと、もどかしさと、言い知れぬ怒りと、
さまざまな感情が次々と沸き起こっては
淀み、混ざってくすぶっていきました。

何の力も持たない僕は、無力感に襲われました。
そんなとき、懇意にしていたLivehouseのオーナーに
こんなコトバをかけられました。

「お前は、歌が作れるんだから歌を作ればいいじゃないか。」

この「帰りたい場所」という歌は、 そのときに作った歌です。

人間は必ず忘れていく生き物です。
でも、僕が歌い、語り続けることによって、
どこかの誰かがほんの一瞬でもこの出来事を
思い出してくれたらいい。
一緒に祈ってくれたらいい。

そして、避難されている方、またはされていた方、
ふるさとを離れて、でも僕と同じ思いをもっていてくださる方の
ささやかな応援歌となればいい。


「いつでも、絶対に忘れないよ。」
そんな思いで作り、今でも歌い続けています。

この歌は、悲しみの歌ではなく、
そこから生まれ変わる命の強さの歌です。


その後、2007年(平成19年)7月16日10時13分23秒におきた
「中越沖地震」のときも、同じ思いでこの歌を歌い続けました。

そして、このたびの3月11日に起こった東日本大震災についても。

さらに深い思いや祈りをこめて、
ぼくは歌い続けていこうと強く思っています。


                みほりょうすけ




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